トップページ野遊び屋とは?開発秘話>第2回 吉川 寛(ごう)編
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第1回 リュウ・タカハシ(Ryu)編|第2回 吉川 寛(ごう)編|第3回 小前 昭二(ショージ)編
第4回 神薗 光子(カミゾノ)編


 「開発秘話」第2回は吉川 寛氏が登場。
 吉川氏は2003年12月現在「野遊び屋」のディレクター兼ガイドとして奔走しながらも、G-Outfitter(以下、G-O)としても遠征ツアーを中心にガイディングをこなし、相変わらず忙しい毎日を送っている様子。
 そんな吉川氏が週末野遊び屋へやって来ると言う情報をキャッチ。ツアーが中止になって退屈している所、話をうかがった。


ごう― こんにちは。では早速始めさせて下さい。ところで、以前から思ってたんですが、「ごう」と言うニックネームは何処から来たのですか?豪さんとか剛さんかと思ってたら寛さんなんですね。
吉川 寛(以下ごう):あぁ、これね。その昔な、「豪遊会」言うアウトドアの好きな連中が集まるクラブ見たいな事をやっててな、そこでのペンネームと言うかハンドルネーム言うんかな、HP上で二役やってたから、本名と使い分けててね、それがごうやったんや。今でも時々書いてるけどGofield.comのレポート書いてた時のペンネームもごうやったんよ。それからみんなごうごう言い出したんやわ。


― 書いてくれてませんよ、Gofield.comのレポート、ここの所ずっと。
ごう:ん?そうか?ま、またその内な、わはは。


― お願いしますよ。ではまず、アウトドアガイドになられたきっかけとかそういう話から聞かせていただきましょうか。
ごう:ガキの時から亡くなった山屋の親父に連れられてしょっちゅう山行ってたんがアウトドアの原点やな。休みになったらキャンプにも連れてって貰てたわ。物心付いた時に住んどったんは、大阪の「堺」言う所やねんけど、そこに住む奴はみんな金剛山言うて、富士山に次いで登山者がようさんおる山見て育ってんねん。学校の遠足でもよう行ったし、友達同士でもよぉ登りに行ったで。頂上に上ったらスタンプ押してくれるねんけど、スタンプが溜まったらバッヂくれるんや。ようさんバッヂ貰た記憶があるわ。
ま、そんなこんなで自分のアウトドアは山から始まった言う話やけど、今の基盤言うか、海に向きおうてホンマの野遊び覚えたんが奄美大島で過ごした2年ぐらいの間やね。奄美の離島に住んでたんやけど、そら毎日アウトドア三昧やったわ。時間あったら亡くなったオジィと毎日漁や。学校行くのも毎日亀やらイルカが飛んでるの見ながら船乗って通学や。島の友達と遊ぶ言うたら海行って潜って魚付いたり、あれはおもろかったねー。
久しぶりにこの間な、ショージ(小前 昭二氏)やカミゾノ(神薗 光子氏)と行った奄美は面白かったで。ま、奄美の話しはまた何処かで。ネタは大事にせんとな。(笑)


― それから大阪に帰って来られてもアウトドア三昧ですか?
ごう:急かすな、急かすな。(笑)そりゃぁもう、狂った様にアウトドア三昧や、とはイカンよ。(笑)金無い高校生やったしね、大阪に帰ったんは。卒業して、働きながらバイク乗ったり、ロックに狂ったり、そんな生活何年かしてた頃に、ふと仲間と出かけた、今で言うたらバーベキューやね、それで「あぁ、こんなんめちゃくちゃ楽しいなー」って感じで、のめり込んだら一直線。数年間は昼夜トラックの運転手とか色々やりながら金貯めてね、あちこち遊びに行ってはまた金貯めてって生活が何年か続いたね。で、30歳の頃に嫁はんの従兄弟のショージと奄美大島行ってシーカヤック始めたんよ。あいつがまだ18、19の頃や。フラフラしとったんで、「ショージ行くか?」言うてね。(笑)


― ショージさんとは親戚だと言う話、ビックリしますね。で、奄美大島から帰って野遊び屋がはじまるワケですか。
ごう:イヤ、まだまだや。(笑)俺とショージにはG-Outfitterがある。奄美から帰って、次の年やったかな、二人で見よう見まねでガイド業はじめたんは。まぁ、そんなんでイキナリ飯が喰える程甘くないから、勿論二人ともバイトしながらの生活よ。で、2年か3年そんな生活を続けてる頃に、ネット通じてRyu(リュウ・タカハシ氏)と知りおうたんや。色々質問しまくってな、思い出したら笑えるでぇー。それこそ毎日、1時間も2時間もかけてメールで色々質問するねん。Ryuもまぁ、マメにな、ホンマ色々教えてくれたわ。
それが確か秋やったから、半年そんな文通が続いてな、(笑)奴が日本に帰国する言うた時に、牛窓でのシーカヤックミーティング、これで初顔合わせよ。せっかくやからみんなに声掛けて人集めるわ言うてね、牛窓でのミーティング開催したんや。で、このミーティングに来てたんが、Gofieldの森田(森田 桂治氏)や。これで、三人が繋がった言うワケや。それからは、まぁ、とんとん拍子って事も無いけれど、次の年の4月に野遊び屋はオープンしたんやな。


― 自分もその辺りの話は知りませんでしたよ。では、野遊び屋オープンさせるにあたっての苦労話なんてのも聞かせて下さいよ。
ごう:大変やったでほんま、言うのは嘘で、大変やった言う記憶は無いのが不思議。(笑)ほんま遠い昔の話に思うなぁ。Ryuは毎日南半球からメールで怒ってたなー。(爆)
あぁ、よぉ覚えてるんはね、出艇場所作ったり草刈したりそんな土木作業毎日やってる頃ね、泊まる所もまだ無くて、ショージと二人で隣の山田海岸にテント張ってキャンプしながら作業してたん思い出すな。なんちゅう大変な事してるんや、言うて心配してみんなビールとか差し入れ持って来てくれて、おもろかったで。今でも時々ショージと思い出しては笑てるよ。
寝場所言うたらね、今でこそ近所に家借りてそこから通ってるけどな、去年はベースの2階の屋根裏で寝起きしてたんよ。Ryuとショージとカミゾノと四人で、まぁあれも面白かったわ。


― 十分苦労話に聞こえますが・・・。
ごう:いや、ホンマにおもろかってん。(笑)


― 野遊び屋をこの東かがわ市に決めたと言う理由なんかはありますか?
ごう:昔からG-Oはこの辺りの海域でガイディングしてたんや。候補地が確か野遊び屋よりもずっと西の庵治方面とか屋島とか言う案もあってんけどね、ここの海は瀬戸内でも特にお気に入りで、ガイド以外でも遊びに来て通ってたからホンマ良ぉ知っとったし、海もこっちの方が断然綺麗やしな。今ベースに使ってるログハウスもポイント高かったわ。
そうそう、話は飛ぶけど、カミゾノなんか昔はG-Oのお客さんとして昔はここで遊んで帰ったりしてたんやで。隣のベッセルで風呂入ってね。(笑)


― そのG-O。今年のシーズンの終わりごろでしたね、野遊び屋HPにもメルマガにも頻繁に出て来るようになったのは。その辺りのお話を聞かせて下さい。
ごう:野遊び屋のツアーは毎日、決まったコースを決まったメニューで案内するのが仕事なんよね。昨シーズンは僕もほとんど野遊び屋のツアーだけでシーズン終わったぐらいG-Oのツアーは催行しなかったんよ。出来なかった言う方が正しいな。
ところが今年はね、リピーターと言うのが現れ出した。去年ツアーに参加してくれたお客さんやったり、今年来てくれた人の中でも、何回も来てくれたりとかね。そうするとな、たとえば最初ティーツアー来てくれて、次はワンディツアー来てくれて、じゃその次言うたらキャンプツアーとか好きな人は行きたくなるんよね。こっちも、食事なんかもたまには違う物食べさせてあげたいとか出てくるしな。野遊び屋にはキャンプとか食事をローテーションさせるメニューは無いんよね。そこでG-Oの需要が出てきたんや。誰でも気軽に参加出来る野遊び屋のツアーと、更にもっともっとシーカヤックで遊びたい人に向けてG-Oのツアー。ガイドの顔は変わらへんのに、お客さんにはちょっとややこしいんやけど、自分達の中ではしっかりとそう言う住み分けが出来たのが今シーズンや。
G-Oではね、スクールなんかもこの間から始めて来シーズンの本格的始動に向けて準備してるしね、それも野遊び屋との大きな違いやよ。Ryuの開発秘話の中で、今後の野遊び屋、みたいな話をしてたけど、奴が基本を作った野遊び屋が2年経って日本で進化して来た言う感じかな。Ryuの所(NZ)ではな、リピーターちゅうのが基本的に無いんよ。世界中からの観光客が来る所やから。日本でやってたら、自然にこう言う動きが出て来るわ。ツアーメニューなんか結局はお客さんのニーズで作られるモンやと思うねん。


― では野遊び屋の今後はG-Oと二人三脚で益々面白いツアーが催行されると言うわけですね。
ごう:まぁね、まだ自分達の中でも良く分からんと言うかあやふやな部分は沢山残ってるんやけど、来シーズンは今年模索した事をもっとキッチリとやってな、もっと皆に満足して貰えるツアー作るよ。ま、色々考えてますわ。(笑)
そうそう、山メニュー、いよいよ試験的にやけど年明けぐらいから開始出来るんとちゃうかな。とりあえず近所の里山からやけどな。この間からショージ、カミゾノは現地調査かかってるし、後は登山道の整備とかメニューの設定とか言う所まで来てるから楽しみに待っといてや。


― 野遊び屋の山メニュー、楽しみですねー。そうそう、最後に今シーズン終盤にはRyuさんが現場離脱と言う大事件もありましたが、Ryuさんが抜けた穴はどうなりましたか?何か変わりましたか?その辺りのお話をお願いします。
ごう:静かになった。朝昼晩と饂飩を食べなくて良くなった。ま、忙しくもなった。(笑)
ガイディングの中身がどうのと言うのは、ショージ、カミゾノも既にプロとしてお客さんからお金を頂けるクオリティの仕事やってるわけやから特に何も変わらんかな。勿論、ガイディングの腕はこれからもどんどん磨いて頑張ってイカンとRyuや僕なんかのおっさんに負けてたら駄目やからね。
これからはあいつらがまた新しく入ってくるガイドに仕事を教えて、あいつら自身もまた一皮剥けるワケよ。野遊び屋自体はRyuも言ってた様にある意味もう出来上がってるし、ガイド名指しでやってくるってツアー会社じゃないからRyuがおるからどうの、吉川がおるからどうの、ってのはもう無くなったね。野遊び屋の「誰もが楽しめるシーカヤックツアー」は黙ってても受け継がれて行ってるよ。誰もが楽しめるためには何が必要か?ってのをRyuは残して行った言うワケや。
ま、現実問題、マンパワーは足りなくなってるんで、大々的に人は募集してますよ。募集と言えば、受付嬢をしてくれていた井上のゆう(井上 裕子氏)も、再びオーストラリアに行くとか言い出してね、今は良いけど、春になったら人手が足りないのは確実。えらい事ですわ、人材大募集!3Kどころではない厳しい仕事やけど、やりがいありまっせ。(笑)君どう?


― (笑)有難うございました。


2003年11月末、野遊び屋ベースにて


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